エルコンドルパサーとは?最強伝説&レース動画・血統や産駒を解説!

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競馬界では毎年のように
秋にフランスでの凱旋門賞を
目指す馬が出てきます

1969年のスピードシンボリが
日本馬として初めて凱旋門賞に
出走しましたが、そこから3頭は
すべて11着以下と世界の壁の高さを
痛感させられていました。

しかし、1999年1頭の日本調教馬が
当時のヨーロッパ最強馬を相手に
壮絶な叩き合いを見せて2着に入った
ことで
凱旋門賞を目指す動きが活発になりました。

その馬の名前はエルコンドルパサー

クラシックディスタンスでは
日本馬は、ヨーロッパに敵わない
と思われていた風潮を叩き壊し
世界の頂に迫った名馬
エルコンドルパサーについて
今回はご紹介します。

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エルコンドルパサーの成績/戦績は?

出展:https://ameblo.jp/k19690539

11戦8勝 [8-3-0-0]という成績を残した
エルコンドルパサーの戦績を
振り返っていきましょう。

まだ身体が出来上がっていない
という理由からデビュー当初は
ダート戦を中心に使われていました
3連勝を果たし、芝の重賞
ニュージーランドトロフィーに
出走します。

初めての芝で戸惑う所もありながら
終ってみたら完勝。

続くG1・NHKマイルカップでは
4コーナーで外に膨らむ
若さを見せながらも
残り300m辺りで早くも先頭に立ち
そのまま押し切る強い競馬で
初のG1タイトルを獲得
します。

秋の目標をジャパンカップに据えた
陣営は、毎日王冠からの始動を選択。

同期の無敗馬グラスワンダー、
現役最強の快速馬サイレンススズカ、
との対戦となったこのレース。
サイレンススズカに逃げ切りを許し
連勝はストップしますが、
2着を守り、古馬相手のメドを立てます。

迎えたジャパンカップでは、
3番手追走から楽に先頭に並びかけると
直線では後続を突き放し完勝。
2つ目のG1タイトルを獲得しました。

古馬となったエルコンドルパサーは
ヨーロッパで制覇を目指し
長期の遠征に出ることになります。

当初は芝の長いヨーロッパの馬場に
苦労した様子だったようですが、
次第に克服。
遠征初戦のイスパーン賞で
2着に入る上々の滑り出しを見せます。

続くサンクルー大賞では、相手強化、
斤量増といった不安材料がある中、
JCと同じような強いレースを見せ
海外G1初勝利を達成
しました。

そして前哨戦を勝利し、大目標である
凱旋門賞へ2番人気で駒を進めた
エルコンドルパサー

マイペースで逃げると
直線で馬群を突き放し
差を広げますが、
追い上げてきた1番人気の
モンジューとの叩き合いに。

粘りを見せたものの
半馬身遅れてゴール

凱旋門賞のタイトルは
ならなかったものの
その強さを世界中から評価され
ターフを去りました。

エルコンドルパサーの獲得賞金っていくら?

わずか11戦のキャリアで引退した
エルコンドルパサーは
国内で3億7,607万円。
海外で380万フラン
(日本円で7500万円ほど)。
という賞金を獲得しています。

エルコンドルパサーレース動画

海外にも強さを見せつけた
エルコンドルパサーのレースを
動画でご覧いただきましょう。

1.共同通信杯

まずはエルコンドルパサーにとって
3戦目のレースとなった
1998
年の共同通信杯です。

このレースで初めての芝を
体験するはずでしたが、
雪の影響でダート変更と
なってしまいます

水が浮くコンディションの中
4番手の外を追走し
直線に向くと芝並みの末脚を
繰り出して完勝

トップレベルのスピードを
証明したレースでした。

2.ジャパンカップ

続いては日本で最後のレースとなった
1998年のジャパンカップです。

有力な外国馬は少なかったものの
同い年のダービー馬スペシャルウィーク
当時の古馬最強の名牝エアグルーヴ
など骨のあるメンバーが出走。

それまで1800mまでしか
経験のなかったエルコンドルパサー
距離に不安がある中のレースでした。

好スタートを決めたエルコンドルは
すっと最内入り、2~3番手で
レースを進めていきます

ロスなく周ってくると
直線では、楽な手応えで
先頭に並びかけて行きます。

仕掛けられると、すぐに
後続を引き離し2着に
2
馬身半の差をつけて快勝

日本で調教された3歳馬としては
初のJC制覇
を達成しました。

3. 凱旋門賞

最後に紹介するのは、
現役最後のレースとなった
1999
年の凱旋門賞です。

ヨーロッパの古馬中距離の
王道路線で3戦2勝という結果を
残していたエルコンドルパサーは
2
番人気で伝統のレースに臨みました

内枠から好スタートを決めると
そのまま先手を取って逃げて行きます

最後の直線に入ると
後続を突き放し、栄冠が目前に迫った
残り100m付近で、最強の3歳馬
1番人気のモンジューに捕まります。

あっさり交わされると思いきや
粘りを見せるエルコンドルパサー。

なんとか差し返そうとするものの
モンジューには半馬身及ばず2着に惜敗。

3着を6馬身も引き離す
2頭のマッチレースに
「今年はチャンピオンが2頭いた」
と現地で称えられる
名勝負を披露しました。

エルコンドルパサーが最強と言われるのはなぜ?

国内での出走は7戦だけで、G1は2勝。
それにも関わらず、エルコンドルパサーは
最強馬と言われることがあります。

その理由は、クラシフィケーション
と呼ばれるレーティングの数値です。

各馬の能力を斤量で表す
クラシフィケーションで
1999年のエルコンドルパサーは
当時の古馬長距離路線で最高の
134
ポンド
を記録。

ディープインパクトの最高が127ポンド
世界最高を出したと話題になった
ジャスタウェイが130ポンド(マイルで)
という数値なので、日本調教馬としては
エルコンドルパサーの評価を
上回る馬が出ていないという
実情があります。

この数値と国内、海外問わず
2
着を外さなかったという安定感などから

最強馬説が出てくる馬なのです。

エルコンドルパサーの血統は?

エルコンドルパサーは
父キングマンボの初年度産駒

キングマンボは20世紀を代表する名種牡馬
ミスタープロスペクターと
アメリカのマイル女王
ミエスクの間生まれた超良血馬で、
種牡馬となってから
エルコンドルパサーのほかに
キングカメハメハなどを出しました

エルコンドルの母はサドラーズギャル。
ヨーロッパを代表する種牡馬
サドラーズウェルズの血を持つ馬です。

アメリカ競馬とヨーロッパ競馬を
席巻する血統を掛け合わせたて
産まれた
のがエルコンドルパサーでした。

エルコンドルパサーの性格は?

活躍馬にありがちな
気性難エピソードが無い馬で、
エルコンドルパサーは
非常に大人しい性格だったようです。

臆病な面は持っていたようですが、
頭の良さで様々なことを理解していき、
臆病な部分を克服していったようです。

頭の良さは走り方の変化にも現れています。
ヨーロッパに渡った直後は、
深い芝に脚を取られて
まともに走れなかったようですが、
調教を積むうちに順応。

ヨーロッパの馬場に適した走り方を
自ら見つけ、結果を残しました

エルコンドルパサーの脚質は

出遅れたレース以外で
エルコンドルパサーが見せていた
脚質は先行

道中は2〜3番手につけ、
最終コーナーを周って直線に入ると
差し馬顔負けの末脚を繰り出し、
後続を寄せ付けないというスタイルでした。

ヨーロッパでは逃げる競馬もありましたが、
騎手の指示に素直に従って
逃げていたもので、最後にきっちりと
脚を使っていることからも、
自在性のある先行力を武器にした
馬だった
と言えるでしょう。

エルコンドルパサーの騎手は?

エルコンドルパサーに跨った騎手は2人います。

  • 的場均…デビューから5戦目のNHKマイルCまで手綱を執る。臆病なエルコンドルに競馬を教えていった騎手。
  • 蛯名正義…的場が御手馬のグラスワンダーが復帰したことから白羽の矢が立ち、6戦目の毎日王冠から引退まで騎乗。ヨーロッパ競馬に対応するための先行力と自在性を伸ばした。

関東を代表する勝負師と共に、
エルコンドルパサーは
レース毎に課題を克服し、
世界の頂に迫って行きました。

エルコンドルパサーの馬主は?

黄、青一本輪、赤袖の勝負服で
活躍したエルコンドルパサーを
所有したのは渡邊隆さん

血統に造詣の深い渡邊さんは、
所有馬のほとんどを
自身の考えた配合で交配された
馬たちという馬主です。

エルコンドルパサーも
もちろん渡邊さんが考えた
配合から誕生した馬。
クロスがかなり重なっている
エルコンドルの配合は、
渡邊さんだからこそ出来た
と言っても過言ではない
ギリギリの配合と言われています。

渡邊さんは他に、
オフサイドトラップや
ハンソデバンドといった
重賞ホースも所有。

現在は、青、白襷の勝負服で
所有馬が出走しています。

エルコンドルパサーの産駒は?

出展:photo/Goki

引退後、18億円のシンジケートが
組まれ種牡馬入りした
エルコンドルパサーでしたが、
腸ねん転で早世したため
3世代しか産駒を残せませんでした

短い種牡馬期間でしたが、産駒から
ヴァーミリアン、アロンダイト
ソングオブウインドというG1馬を出し、
母の父としてもクリソライト、
マリアライトといったG1馬を出しており
孫世代からも活躍馬が出ています

子供も孫も芝、ダートと問わず活躍しており
産駒たちもエルコンドルパサーの
万能性を示す結果を見せています。

エルコンドルパサーとサイレンススズカは?

エルコンドルパサーが国内で
唯一敵わなかった馬が
1つ年上の快速馬サイレンススズカ

1998年の毎日王冠で、
一度だけの対戦があり
この時は、サイレンススズカの
完勝と言える内容でした。

サイレンススズカは
次走で悲劇が起こり、早世したので、
2頭の対戦は、この毎日王冠だけに
なってしまいましたが、
順調だったならば、エルコンドルが
完勝したジャパンカップで
2頭が再戦していた可能性がありました

1800m~2000mで圧倒的な
速さを見せていたサイレンススズカと
フランスの2400mでも
バテなかったエルコンドルパサー。

府中の2400mで激突していたとしたら
競馬史上に残る
名勝負になっていたかもしれません。

まとめ

今回は、海外から最も評価されている
日本調教馬、エルコンドルパサー
ご紹介しました。

結果だけではなく、賞金が高い
日本でのレースを捨て
ヨーロッパに居続けて
凱旋門賞制覇を目指した
姿勢からも
現地の関係者から
高い評価を得た馬でした。

凱旋門賞に挑む馬が出るたびに
その夢が近くにあるかもしれないと
思わせてくれるきっかけを作った馬
エルコンドルパサーが
居たということを思い出して
もらえたら幸いです。