ミスターシービーとは?過去の戦績、産駒・レース動画を紹介!

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80年を超える日本競馬の
歴史の中で様々なセオリーが
生まれてきました。

これは単なる偶然ではなく、
統計的な面から
認識されてきたものですが、
セオリーを覆した
破天荒な馬も存在します

  • 皐月賞は先行馬有利
  • 1コーナー10番手以内に付けないとダービーは勝てない
  • 淀の坂はゆっくり下る

そんな常識を無視して
史上3頭目の三冠馬と
なったのがミスターシービーです。

常識破りのレースっぷりと、
美男子と称されたルックスで
ファンに愛された名馬
ミスターシービーを
今回はご紹介します。

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ミスターシービーの成績/戦績は?

デビューから2戦は先行して
連勝を果たしたミスターシービー。

3戦目で大きく出遅れ
追い込み届かず2着に敗れる
騎手はその戦法に
大きな手応えを感じます。

共同通信杯4歳S、弥生賞を
追い込みで連勝し、迎えた
クラシック第一弾・皐月賞。

追い込みが効きにくいとされる
不良馬場の中、16番手付近を追走し
向こう正面から上がって行く
ロングスパートを見せて優勝。
一冠目を獲得します。

続く日本ダービーでは
出遅れて最後方からのスタート。
道中も先頭から20馬身ほど離された
後方からの追走となりますが
皐月賞と同じように徐々に
位置取りを上げて行き
残り300m付近で先頭に立つと
そのまま後続を押し切り
二冠を達成します。

菊花賞に向けた休養を取る中、
夏負け、挫石を患い、
順調に調整ができなかったシービーは
京都新聞杯で4着に敗れ
三冠達成に暗雲が立ち込めます。

迎えた大一番の菊花賞では
ハイペースを後方から追走すると
2週目の3コーナーの上り坂から加速し
4コーナーで先頭に

そこから後続を寄せ付けず
3馬身差を付け、シンザン以来
19年ぶり史上3頭目、
父内国産としては初となる
三冠馬に輝きました

古馬となり春の天皇賞を
目指していたシービーですが
再び蹄を痛め、秋に復帰。

1戦叩いて、この年から
2000mに変更された
秋の天皇賞へ出走します。

いつも通り、後方から追走し
3コーナーから進出るすと
大外から伸び、コースレコードで優勝
シンザン以来続いていた1番人気の
連敗を止める勝利で
四冠目を獲得しました。

続くジャパンカップでは、
同期のカツラギエースの
大駆けの前に10着、
有馬記念では1つ下の
三冠馬シンボリルドルフの
3着に敗れたミスターシービー。

翌年春の2走するも
勝ち星を挙げられないまま
骨膜炎を発症。

通算成績15戦8勝 [8-3-1-3]。
19年ぶりの三冠+天皇賞制覇
という見事な戦績と
破天荒でドキドキさせるレースで
ファンに強烈な印象を残し
ターフを去りました。

ミスターシービーの賞金は?

ミスターシービーが
15戦のキャリアの中で
獲得した賞金は4億959万円

当時のダービーの賞金は
今の半分以下だったと考えると
現在なら10億円ぐらいの
賞金を獲得していたと
考えられます。

ミスターシービーのレース動画

常識破りのスタイルで
人気を博した
ミスターシービーのレースを
動画でご覧いただきましょう。

今回は

  • 天皇賞
  • 菊花賞
  • 日本ダービー

の3レースをピックアップしました。

1.天皇賞

ミスターシービーが
古馬となってから
唯一の勝利となった
1984年の秋の天皇賞

この年から採用された
グレード制の導入に合わせて、
距離が3200mから
2000mに変更されたレース。

断然の一番人気で出走した
ミスターシービーですが、
スタートから行き脚が付かず
道中は最後方からとなります。

3コーナー付近から上がって行くと
全馬を抜き去って優勝。

八大競走4つ目のタイトルを
獲得しました。

2.菊花賞

続いてはミスターシービーが
三冠を達成した1983年の
菊花賞です。

前走で敗れていたことと
血統面からも長距離向きとは
言えなかったことから
不安が少なくもなかった
このレース。

いつものように
最後方付近から進めると
馬群が密集してきた
向こう正面から進出。

残りがまだ1000mも
ある地点からのスパート
観衆がどよめきます。

最終コーナーを持ったままの
手応えで先頭に立つと
後続を寄せ付けず
3馬身差をつけてゴール。

「ゆっくり下る」が
セオリーの淀の長丁場で
掟破りのレースを見せ
19年ぶりの三冠に輝きました。

3.日本ダービー

最後に取り上げるのは
1983年の日本ダービー。

いつも通りにスタートはイマイチ。
道中は、ほぼ最後方から
レースを進めていきます

3コーナーから進出し
4コーナーを6番手で周ると
直線でも脚は衰えず、
一着でゴール。

「1コーナー10番手以内」
というダービーポジションを
完全に無視したレース
その強さを印象付けました。

ミスターシービー・美しい容姿

出展:https://www.amazon.co.jp/

19年ぶりの三冠馬となった
ミスターシービーは
非常に人気の高い馬でした。

その要因は、派手な追い込み
というレースぶりとルックス。

小柄な馬でしたが、
透き通るような薄く美しい黒鹿毛と
大きく澄んだ瞳
人々を虜にしました。

その容姿は多くの関係者から
高い評価を受けていて
引退後には競走馬としては
異例の写真集が
発売されたほどでした。

ミスターシービーの種付け料は高いの?

引退後、種牡馬となった
ミスターシービーは
初年度から3頭の重賞ホースが
出るなど活躍
新種牡馬ランキングで
1位に輝きます。

その結果、ミスターシービーの
種付け権利が当時の史上最高額の
2000万円で取引されました。

バブル景気の時代とは言え、
現在でも2000万円を超えるのは
ディープインパクト1頭だけ

さらに賞金額が今より半分程度
だったことを考えると
かなり高い種付け料だったと言えます。

ミスターシービーの血統は?

ミスターシービーの父は
天馬と呼ばれた皐月賞馬
トウショウボーイ

内国産種牡馬不遇の時代に
シービーを始め、多くのG1馬を
輩出した名種牡馬です。

母は重賞3勝のシービークイン。
両親はデビュー戦で一緒に
走ったという縁のある馬でした。

シービークインにはトウショウボーイの
父であるテスコボーイを
種付けする予定でしたが、
種付け権が確保できず、
まだ2年目で産駒がデビュー
していなかったトウショウボーイを
代役に立てて誕生したのが
ミスターシービーだったと
言われています。

ミスターシービーの性格は?

他の活躍馬と比べ
気性や性格にまつわる
エピソードが少ない
ミスターシービー。

ゲートで暴れることが
多かったことや
マイルぐらいが合っていた
と語っていることから
想像すると、勝ち気で
テンションが高い
性格だったと考えられます。

ミスターシービーの脚質は?

ミスターシービーの
代名詞と言えるのが
追い込み

道中は15番手付近の
後方からレースを進め、
3コーナー辺りから進出し
直線で先行馬を交わしていく
というスタイルに
ファンが熱狂しました。

これには理由があったようで、
ゲートが上手でなかったことと
一度スピードに乗ると
最後まで、減速せずに
トップスピードで
走ってしまう性格だったため
後方から進め、勝負所で
一気に上がって行くレースしか
できなかったようです。

ミスターシービーの騎乗騎手は?

ミスターシービーの
デビューから引退まで
手綱を取り続けたのは
吉永正人騎手。

逃げや追い込みといった
極端な先方が得意だった
と言われている騎手です。

ミスターシービーとのコンビで
見せた常識破りなレースぶり
から特に追い込みの印象が強く
「吉永スペシャル」などと
呼ばれる個性的な騎手でした。

また競馬好きで知られる作家の
寺山修司さんのお気に入りの
騎手だったとして知られています。

ミスターシービーの馬主は?

ミスターシービーの馬主は
千明牧場。
1927年に開場した歴史のある
オーナーブリーダーです。

シービーは、チギラのCと
ボクジョウのBから取られた
名前で千明牧場を代表する
馬になって欲しいという
思いを込められたもので、
今回紹介している馬の前に
障害で活躍した1頭がいたので
実は2代目のミスターシービーなのです。

ちなみにミスターシービーは
千明大作の代にダービーを制しましたが
先代、先々代の頃にもダービーを
制しており、3代にわたるダービー制覇は
日本競馬史上、千明牧場だけ
快挙となっています。

ミスターシービーの産駒は?

19年ぶりの三冠と言う
武器を手に種牡馬入りした
ミスターシービー。

初年度から3頭の重賞ホースを
出し、順調なスタートを切ります。

しかし、先述した種付け料が
2000万円まで高騰したことで
成功のハードルが上がったことと
種付け数の確保が難しくなったことで
その後は、大きな活躍をする
馬が現れませんでした。

初年度産駒のヤマニングローバルが
種牡馬入りしたものの
こちらも繁殖牝馬を集められず
父系は消滅してしまいました

デビューから3連勝し
クラシックの期待があった中、
大怪我を負ってしまった
ヤマニングローバルが
無事にクラシックを走っていたら、、、

ミスターシービーの種牡馬としての
評価は違っていたかもしれません。

まとめ

史上3頭目の三冠馬
ミスターシービー
ご紹介しました。

完全無欠の強さを見せた
1つ下の三冠馬
シンボリルドルフの影に隠れ
「最強馬」という中では
名前が上がりづらい馬ですが、
人々を魅了した点においては
ルドルフ以上のアイドルホースでした。

後のオルフェーヴルや
ゴールドシップに通じる
破天荒ホールの1頭として
覚えておいてください。