サイレンススズカとは? 血統や産駒&ライバルとのレース動画を紹介

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他の馬にとってはハイペースでも、
サイレンススズカにとってはマイペース。

サイレンススズカに神様が与えた
その天性のスピードは、
競馬ファンにとっても非常に衝撃的で
これまでの競馬の常識を打ち破るような
規格外のものがありました。

しかし、そのサイレンススズカも
最初から天才ランナーだったわけではなく、
挫折を経験して強くなっていったからこそ
これだけ多くのファンに愛される存在
になったのは間違いないでしょう。

今回は、
今もなおその強さが語り継がれている
サイレンススズカの素顔や
知られざる本当の姿を
順に紹介していきたいと思います。

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サイレンススズカの成績/戦績は?

出典:http://biz-journal.jp/gj/

サイレンススズカの通算競走成績は
15戦9勝で、重賞勝利は
GⅠ宝塚記念を含む5勝となっています。

近年のスターホースと比べると
GⅠ勝利数は宝塚記念の1勝のみで、
戦績だけだと他の名馬と比べて見劣りしますが、
これだけファンが多いのは
その1戦1戦が強烈なインパクトを放っており、
同時にサイレンススズカの圧倒的強さを
見せつけるものだったからでしょう。

ここではサイレンススズカの獲得賞金と共に、
同馬がいい意味でも悪い意味でも
強烈な印象を残した3つのレースを
紹介していきたいと思います。

サイレンススズカの獲得賞金は?

サイレンススズカが通算獲得賞金は、
総額で4億5598万4000円
(海外遠征の賞金は除く)
となっており、
約20億近くの通算賞金を稼いだ
キタサンブラックやテイエムオペラオー
などの名馬と比べたら少ないのは
誰が見ても明らかでしょう。

近年はGⅠの賞金が増額傾向にあるため
単純な比較はできませんが、
それでも『賞金』といった面では
それほど大きなインパクトを残してないのは
事実だと思います。

サイレンススズカの魅力は、
やはりその『大逃げ』というレーススタイル
にあるのは確実で、
ここからはその伝説のレースを映像と共に
紹介していきたいと思います。

サイレンススズカ・伝説のレース動画を紹介!

自分個人としては、
サイレンススズカのデビュー戦から
最後のレースとなった天皇賞・秋まで
全レースが『伝説のレース』ですが、
全てを紹介すると膨大な量になってしまうため、

ここではその中でも特に強烈な印象を残した
3レースを紹介していきたいと思います。

1.弥生賞

まず最初は、その有り余る素質を
多くのファンに認められながらも、
まだ精神面が非常に幼かったことから
レース前にパニックになってしまった
弥生賞を紹介したいと思います。

デビュー戦では逃げる競馬から
直線持ったまま7馬身差の圧勝を飾り、
2戦目でいきなりの重賞挑戦ながら
その高い素質に期待され、
ランニングゲイルに次ぐ2番人気の支持を
集めていました。

しかし、ここでサイレンススズカは
気性面の幼さから思いもよらぬ行動に
出てしまいます。

全馬のゲートインを待っている間に
あろうことかゲートを潜ってしまい、
上村騎手を振り落としてしまったのです。

さらに、
危険防止のため外枠発走の処置が取られ、
ゲートが開くと今度は脚をバタつかせて
スタートを切ることができず、
結果的に10馬身近い出遅れをしてしまいました。

普通の馬であればこの時点で大敗は間違いない
くらいの大きな不利でしたが、
そこから一気に馬群に取り付くと
4コーナーでは先頭の後ろまで押し上げましたが、
やはりそれまでのロスは非常に大きく、
結果的に8着と敗れてしまいました。

レース後には
『ゲート再試験』と『20日の出走停止処分』
の罰則が課され、
若きサイレンススズカにとっては
苦い思い出として残ったレースですね。

2.毎日王冠

このレースを語る上で、
まずグラスワンダーとエルコンドルパサーの
『2頭の無敗外国馬』の存在
説明しないわけにはいかないでしょう。

2歳時から圧勝に次ぐ圧勝で
朝日杯3歳S(現朝日杯フューチュリティS)
を勝利して『怪物』と呼ばれ
翌年が約束されたグラスワンダーでしたが、
春に骨折が判明し休養入りすると、
復帰レースとしてこの毎日王冠に
エントリーしてきました。

エルコンドルパサーは
デビューから3戦こそダート戦だったものの、
全てワンサイドゲームの圧勝で連勝を飾り、
グラスワンダーと入れ替わるように
芝レースのNZT→NHKマイルCでも
アッサリ連勝して初GⅠ制覇を飾り、
こちらは骨折明けのグラスワンダーとは違い
万全の態勢で同じく毎日王冠への出走を
表明していました。

この『超GⅠ級』の2頭がいたにもかかわらず、
単勝1.4倍という圧倒的1番人気に支持された
サイレンススズカは、
この大舞台でこれまでの『集大成』
と言えるような完璧なレースを披露します。

59キロという斤量を背負っての休み明けながら、
前半1000mを57秒7というハイペース
で逃げたサイレンススズカでしたが、

グラスワンダーが4コーナーから一気に
並びかけてきても全く動じることなく、
直線満を持して追い出すと
必死に追いすがるエルコンドルパサーに
全く差を詰めさせずに、
最後は流す余裕を見せての
2馬身半差の快勝でした。

サイレンススズカの代名詞である
『逃げて差す』レースが100%完成したのが
この毎日王冠で、

武豊騎手が通常はGⅠレース勝ち馬しか
行うことが許されない
『ウイニングラン』を披露したことからも、
その凄さが伝わるのではないでしょうか。

自分の中でも文句なしに
サイレンススズカのベストレースは
この毎日王冠だと断言したいと思います。

3天皇賞・秋

毎日王冠で現役最強であることを証明し、
迎えた大目標の天皇賞・秋は
『サイレンススズカの勝ち方』
だけが注目されたレース
と言っても
過言ではなかったと思います。

それを証明するようにこの年の天皇賞・秋は

『あの馬(サイレンススズカ)には勝てない』

と白旗を上げて出走を回避した陣営が多く、
GⅠレースにもかかわらず12頭立てという
少頭数で行われたのがその証拠でしょう。

レース当日は逃げ馬にとっては
最高とも言える1枠を引き、
出走メンバーの大半は負かしてきた相手
ということもあって、
単勝オッズは毎日王冠よりも低い1.2倍と、

まさに『負けるわけがない』
といった雰囲気の中でレースが
行われることとなりました。

好スタートを切ったサイレンススズカは、
2番手の同じ逃げ馬サイレントハンターに
並びかける暇も与えずグイグイ加速すると、
そのまま後続を大きく突き放しての
『大逃げ』に打って出ました。

鞍上の武豊騎手の手は
全く動いてないにもかかわらず、
遥か後ろで追走している後続各馬の方が
追っつけながら追走していることからも、
どれだけサイレンススズカのペースが
他馬にとって厳しいペースであるかが
理解できると思います。

テレビカメラが目一杯に引いても
先頭から最後方まで映し切れないほど
縦長となった展開の中、
前半1000mを57秒4という
毎日王冠より速いペースで通過した
サイレンススズカの圧勝を
誰もが信じていましたが、

その目一杯膨らんだ希望の風船は
4コーナーで無情にも『競争中止』という
最悪の形で破裂することになって
しまいました。

今でもこの映像を見ると
当時の絶望的な気持ちが蘇りますが、
これを語り継いでいくのも我々競馬ファンの
『使命』と言えるかもしれませんね。

サイレンススズカの血統は?

出典:http://100wiposp.wiki.fc2.com/

サイレンススズカは

『父サンデーサイレンス×母父Miswaki』

という血統構成で、
母ワキアの3番目の産駒のあたる存在でした。

ディープインパクトやスペシャルウィークなど、
次々と歴史的名馬を輩出してきた
サンデーサイレンスを父に持つ同馬ですが、
はこの配合は偶然の産物で生まれた、
という事実は意外と知られていないと思います。

当時生産者は
母ワキアにバイアモンという種牡馬を
種付けしましたが、
2度の種付けにもかかわらず
どちらも不受胎となってしまいました。

そこで、同年春のクラシック戦線で
ウイニングチケットやベガが大活躍していた
トニービンとの配合を予定しましたが、
これもトニービンの予約が一杯だった
こともあって実現せず、その結果
『代替案』の種牡馬がサンデーサイレンス
であったという経緯がありました。

この『運命のイタズラ』で生まれたのが
サイレンススズカであったという事実からも、
競馬の配合というのは
本当に何が起こるか分からないもので、
だからこそ面白い面があるのかもしれません。

サイレンススズカの脚質は?

サイレンススズカの成長曲線と共に見ていくと、
同馬の脚質は

『逃げ(先行)』→『大逃げ』→『逃げ差し』

と変わっていくのが理解できると思います。

『逃げ』という大きなカテゴリーで括れば
同じに見えるかもしれませんが、

折り合いを教えながらの逃げだった3歳前半、

とにかくその天性のスピードを
最大限前面に押し出す逃げだった3歳後半、

そして道中息を入れることを覚えた結果、
先頭を走りながら直線でもう一伸びする脚が
使えるようになった逃げの4歳時と、
成長と共にこれだけ『逃げ』のスタイルを
確立していった競走馬も珍しいのでは
ないでしょうか。

サイレンススズカの騎乗騎手は誰?

出典:http://www.netkeiba.com/?rf=logo

サイレンススズカにはデビューから
合計4人の騎手が騎乗しています。

新馬戦から神戸新聞杯までは上村洋行騎手

3歳時の天皇賞・秋とマイルCSは河内洋騎手

4歳時の宝塚記念のみ南井克己騎手

そしてそれ以外のレースは『主戦』である
武豊騎手がパートナーを務めました。

サイレンススズカに
『走る楽しさ』を教えたのが武豊騎手なのは
異論はないと思いますが、

まだ幼い同馬に折り合って走ることを
教えるレースを試みた上村騎手、

『大逃げ』というスタイルの基礎を
作ったとも言える河内騎手、

そしてピンチヒッターとしての役割を
キッチリ果たした南井騎手と、

それぞれがサイレンススズカの競走生活
において非常に大きな意味を持っており、
この4騎手の存在が一人でも欠けたら
サイレンススズカという競走馬は
存在しなかった、
と断言していいと思います。

サイレンススズカの馬主は?

出典:http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/6594/index.html

サイレンススズカの馬主は
『スズカ』の冠名でおなじみの永井啓弐さん
という方で、
高松宮記念勝ち馬スズカフェニックス
天皇賞・春勝ち馬スズカマンボなど、
多くの活躍馬を輩出している
トップブリーダーの一人
言っていいでしょう。

今年(2018年)の5月には
新潟大賞典をスズカデヴィアスで勝利し、
2009年京王杯SC(スズカコーズウェイ)以来
9年ぶりとなる平地重賞制覇を飾り、
まだまだ競馬界を盛り上げてくれそうです。

この馬主の所有馬の中でも
個人的に非常に印象に残っているのが、
2003年の京成杯を制した
『スズカドリーム』という馬です。

同馬の血統に注目すると
母母にワキアの名前があり、
同馬はサイレンススズカの甥に当たります

残念ながらスズカドリームも2005年に
調教中の事故で安楽死処分が取られており、
血統内にワキアの血を持つ馬も
現在はほとんど見かけなくなりましたが、

もし3代目でも4代目でも
これらの血を引く馬を見つけた時には
是非とも引退まで長い目で注目していきたいと
思っています。

サイレンススズカの産駒は?

天皇賞・秋で安楽死処分となってしまった
サイレンススズカは、
当然ながら種牡馬入りして産駒を残すことは
できませんでした。

しかし、『タラレバ』が許されるのであれば、
サイレンススズカが種牡馬入りしていれば
成功する可能性はかなり高かったのではないか
と思っています。

その根拠として挙げたいのが、

『スプリンター並みの天性のスピード』
『血統にノーザンダンサーの血を持たない』

という上記のの2点で、
1200m戦でも通用するスピードに加えて
中距離もこなすスタミナを持っていた
サイレンススズカのポテンシャルであれは、
間違いなくスピード豊かな産駒を
輩出することができたと思っています。

また、2000年前後の当時は
ノーザンダンサー系の血統が飽和状態であり、
その中でノーザンダンサーの血を
一滴も持たないサイレンススズカは
当時の時代背景を考えても種牡馬価値が
非常に高かったのは間違いなく、

それだけに安楽死によって
この血を後世に残せなかったのは
日本競馬界にとっても『大きな損失』
だったのは間違いないと思います。

サイレンススズカが最強馬といわれるのは?

競馬ファンの中では、

『ディープインパクトとサイレンススズカが
同じレースを走ったらどちらが強いのか?』

といったような談義が行われているようですが、
仮に『2000m』の距離で最強馬を決めると
いった条件であれば、
過去のどんな名馬を相手にしても
サイレンススズカが最強馬である、
と断言していいと思います。

その理由として、
他の馬がサイレンススズカの『ペースの影響』
を必ず受けるのに対して、
サイレンススズカ自身は
『自分のペースで速く走るだけ』
でいいからです。

サイレンススズカが2000mという距離を
一番速く走ればそれがレコードタイムになり、
全盛期の同馬に勝つ可能性があるとすれば
個人的には
ナリタブライアン
ディープインパクト
オルフェーヴル
の3頭だけだと思っています。

『最強馬』の定義が人それぞれ違うので
異論は大いにあると思いますが、
それでもサイレンススズカが
最強馬と呼ばれるに相応しい能力を持った馬
であるというのは間違いない事実だと
断言したいと思います。

サイレンススズカの安楽死の理由は?

出典:https://www.youtube.com/

悲劇となった天皇賞・秋のレースの後、
武豊騎手は

『敗因は分からないのではなく、ない』

と断言したように、
その故障を引き起こした原因は
今となってもまだ不明なままです。

直接の安楽死の理由となったのは、
レース中の故障で左前脚の『手根骨粉砕骨折』
を発症したことによるもので、
とても治療ができるような状態でないほど
重い骨折であったため、
即座に安楽死が取られることになりました。

これはあくまで個人的な考えですが、
近年の高速化が進んでいる芝コースであれば
サイレンススズカの圧倒的なスピードでも
十分耐えることができたのでしょうが、
現在と比べても馬場がそこまで固くなかった
当時の芝コースが同馬の脚に
致命的なダメージを与えてしまった結果、
あのような事故が発生してしまった
のではないかと思います。

もしあと10年生まれるのが遅ければ
サイレンススズカがどのような活躍を見せて
競走生活を全うできたのか

今となっては無意味かもしれませんが
そう思わずにはいられないほど
大きな存在感を持つ馬だったのは
間違いないでしょう。

まとめ

近年の道中折り合いをつけて、
直線どれだけ鋭い末脚を使えるかといった
スローペースの競馬に慣れれば慣れるほど、
サイレンススズカの見せてきたレースは
明らかに異端なもので、
これまでの日本競馬界の常識を
真正面から壊してしまうくらい
痛快無比なものでした。

今でも、そしてこれからも
自分の『心の中の最強馬』はサイレンススズカ
であるのは間違いなく、
あれだけの圧倒的なスピードを持った馬は
今後二度と出てこないことは理解しつつも、
自分が生きている間に
サイレンススズカのようなスピードの馬が
現れることに期待して
これからも競馬を楽しんでいきたいと思います。