スティルインラブとは?血統や産駒・レース動画をご紹介!

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スティルインラブという馬を
知っているでしょうか?

牝馬の3冠レース、桜花賞、オークス、
秋華賞をすべて勝利して、
競馬史上2頭目の牝馬三冠を達成した馬です。

三冠レースすべて圧倒的
というわけではありませんでした。

実際、その三冠レースすべて
1人気にはなっていません。

すべて2人気での勝利なのです。

本当に勝負強い馬でした。

そのスティルインラブについて
話していきたいと思います。

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スティルインラブの成績/戦績は?


出典:https://blogs.yahoo.co.jp/
まずスティルインラブの
成績/戦績について話していきたいと思います。

生涯成績主な勝ち鞍
16戦5勝桜花賞、オークス、秋華賞

2002年11月に阪神競馬場で
デビューしました。

そのレースでは2着に
3馬身半差をつけての圧勝。

翌2003年、紅海ステークスでは
1人気のシーイズトウショウなどを
下しての1着。

そして桜花賞のステップレースの
チューリップ賞に出走。

1.7倍の圧倒的1人気に支持されますが、2着。

本番桜花賞では1人気がアドマイヤグルーヴ、
次いでスティルインラブが
2人気に支持されました。

このレースで2着シーイズトウショウに
1馬身1/4をつけての優勝。

オークスでもアドマイヤグルーヴの
2人気でしたが、
アドマイヤグルーヴの追撃を
振り切って1着、2冠達成。

秋初戦のローズステークスでは
1人気になりますが、5着と惨敗。

秋華賞では惨敗が響き、
またもやアドマイヤグルーヴの2人気。

しかしレースでは見事に優勝して
史上2頭目の3冠達成。

続くエリザベス女王杯では
1人気に支持されるも今度は
アドマイヤグルーヴに負けて2着となります。

明けて2004年、金鯱賞から始動します。

初めての古馬牡馬とのレースになります。

5人気で8着と敗れてしまいます。

そして宝塚記念ではまたもや8着。

そのあと、北九州記念12着、
府中牝馬ステークス3着、

エリザベス女王杯9着と
2歳のころのような活躍は
見ることができません。

明けて5歳も現役を続けますが、
金鯱賞6着、宝塚記念9着、
府中牝馬ステークス17着。

ここで引退を決意。

2006年の1月7日に
京都競馬場で引退式をあげます。

スティルインラブの獲得賞金は?

牝馬3冠を達成したスティルインラブ。

その獲得賞金はいくらなのでしょうか。

獲得賞金

4億3777万8000円

牝馬3冠達成後は
勝利を挙げることができず
賞金の積み重ねをすることは出来ませんでした。

スティルインラブ・伝説のレース動画を紹介!

そのスティルインラブ。

3冠レース動画をすべて紹介したいと思います!

1.桜花賞

まずスティルインラブ1冠目の桜花賞です。

前走、若葉ステークスを勝利した
アドマイヤグルーヴが3.5倍の1人気。

スティルインラブも3.5倍でしたが
支持率の差で2人気となります。

スティルインラブは5頭目ぐらいの前目で、
アドマイヤグルーヴは
出遅れたこともあって
最後方からレースを進めます。

4角では先頭を行く馬を
早めにとらえて先頭に立ちます、

内から来るシーイズトウショウや
外から来るアドマイヤグルーヴなどを
封じて1馬戦半差をさえて
見事に勝利を飾りました。

2.オークス

2つ目はスティルインラブの
2冠目となったオークスです。

東京競馬場変わりということで、

差し馬のアドマイヤグルーヴが
1.7倍の1人気、
桜花賞馬スティルインラブは
5.6倍の2人気とやや離されました。

レースはアドマイヤグルーヴが
またもや出遅れて後ろから。

スティルインラブは
桜花賞の時よりも
少し後ろの9番手付近。

4角を過ぎてアドマイヤグルーヴは
大外から追い込もうとします。

しかし残り200mを切ったあたりから
スティルインラブが抜け出します。

追いすがるチューニーを退けて
10年ぶりの2冠馬誕生となりました。

3.秋華賞

3つ目はスティルインラブが
3冠を達成した秋華賞です。

前走ローズステークスでは
アドマイヤグルーヴが完勝。

一方スティルインラブは
そのレースを5着に敗れてしまいます。

その着順が人気にも影響して、
1人気は2.5倍でアドマイヤグルーヴ。

スティルインラブは3.2倍の
2人気となりました。

スタートが心配なアドマイヤグルーヴ。

しかし今回はいいスタートを切ります。

レース中盤ではスティルインラブと
アドマイヤグルーヴがほぼ同じ位置取り。

中団に位置します。

3角を過ぎたあたりでスティルインラブ、
アドマイヤグルーヴが進出。

逃げる馬をスティルインラブが追い込み、
さらにその外からアドマイヤグルーヴ。

しかしそのおい比べを見事に
スティルインラブが制して
17年ぶり史上2頭目の牝馬3冠となりました。

スティルインラブの血統は?


出典:https://blogs.yahoo.co.jp/
では次にスティルインラブの
血統を見ていきたいと思います。

サンデーサイレンスブラダマンテ

父はもう有名なサンデーサイレンス。

この時代は余計に
サンデーサイレンス黄金期でした。

アドマイヤグルーヴも
サンデーサイレンス産駒です。

母のブラダマンテはアメリカ生まれで、
多くの産駒を残しました。

スティルインラブの半兄には
ビッグバイアモンや
ビッグペガサスなどの有力馬も輩出しています

スティルインラブ性格って?

レースでは立ち回りが上手だった
スティルインラブ、その性格は
どのようなものだったのでしょうか。

スティルインラブは比較的おとなしかったです。

ライバルのアドマイヤグルーヴが
非常におてんばな性格だったのですが、

スティルインラブはそれと真逆で
きれいなレースぶりで
騎手も楽にレースをすることができました。

それが故の差だったのでしょう。

スティルインラブ脚質は?

様々なポジショニングから
レースを進めた印象のあるスティルインラブ。

その脚質はどのようなものなのでしょうか。

スティルインラブは
前のほうでレースをすることもあれば
後ろからでも行ける馬でした。

気性がおとなしいため
どんなレースでもすることができた、
その脚質は自在といえるでしょう。

スティルインラブの馬主は?


出典:http://news.sp.netkeiba.com/
スティルインラブの勝負服も
非常に有名なものだと思います。

その馬主さんについて見ていきたいと思います。

スティルインラブの馬主さんは
ノースヒルズです。

1998年からノースヒルズに改名して、
現在はオーナーブリーダーとして
活躍しています。

所有馬は前田幸治、前田晋二、
前田葉子名義に分かれています。

これまでたくさんの名馬を所有してきました。

前田幸治の主な所有馬

  • ビリーヴ

 スプリンターズステークス、高松宮記念

  • ロジック

 NHKマイルカップ

  • トランセンド

 JCD、フェブラリーステークス

  • クリンチャー

 京都記念

前田晋二の主な所有馬

  • キズナ

 ダービー

前田葉子の主な所有馬

  • ラニ

 UAEダービー

スティルインラブの産駒は?


引退後は繁殖牝馬として
下河辺牧場にて繫養されました。

しかしスティルインラブの子供は
1頭しかいません。

そのスティルインラブの産駒は
活躍しているのでしょうか。

スティルインラブの唯一の子について
詳しく見ていきたいと思います。

2017年にはキングカメハメハとの
子供を出産。

その子供はジューダという名前で
2010年にデビューしました。

しかし中央競馬では勝利を挙げることができず、
地方移籍、そこで2勝を挙げて
中央に戻ってきますが、
そのあと3連敗で引退しました。

スティルインラブが強いといわれるのは?


出典:http://umayadoden.web.fc2.com/
スティルインラブが
牝馬三冠を達成してそれだけ強かった理由、
また強いといわれるのはなぜなのでしょうか。

スティルインラブの強さは
そのレースぶりにあります。

素直さ故、どんなレースでも対応できて、
前でも後でもどの競馬場でも
自分のレースをすることができました。

しかし、晩年はやや気性の荒さを
出すようにもなってしまい、
それまでの強さを出すことは出来ませんでした。

スティルインラブの死因は?

スティルインラブは
初の産駒を出した
2007年の8月2日に死亡しました。

死因は小腸の腸捻転で、
27日、開腹手術が行われましたが、
28日に再び腹痛を起こしてしまい、
2度目の手術。

そのあと回復はしていましたが、
8月1日に三度目の腹痛。

もうそのころには体力も落ちていて
回復することは出来ず永眠しました。

※腸捻転…腸の一部が腸の中に滑り込み、
腸が二重になってしまい腸閉塞を起こす病気

まとめ


出典:http://3kankiseki.doumeki.com/
今回は史上2頭目の牝馬
三冠馬スティルインラブについて
話してきました。

牝馬三冠馬はこれまでに
わずか4頭しかいません。

  • メジロラモーヌ
  • スティルインラブ
  • アパパネ
  • ジェンティルドンナ

です。

この4頭はいずれも名牝といえます。

その中のスティルインラブは
1度も1人気になることなく、
三冠を達成した異色な名馬です。

三冠を達成後はなかなか
本来の力を見せることができず
いい姿は見ることは出来ませんでした。

しかしそのレースぶりのうまさは
過去の名牝の中でも
1,2位を争うといえます。

そのような名牝が
若くして亡くなってしまったのも残念です。

記憶にも記録にも残る名牝でした。