オグリキャップとは?伝説のレースや子孫の情報を紹介

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オグリキャップという名前を一度は、
見たり聞いたりしたことが
あるのではないでしょうか?

競馬サークルを超えた人気を獲得し、
それまで男性ファンばかりだった
競馬に女性ファンを呼び込んだ
アイドルホース
です。

彼を模したぬいぐるみが大ヒットするなど
競馬の裾野を広げたオグリキャップですが

彼の競走馬人生は一筋縄ではいかない
波乱万丈のドラマチックなものでした。

昭和の終わりから平成の初めにかけて
人々を熱狂させ、感動させた
一頭の名馬について今回はご紹介します。

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オグリキャップの成績/戦績は?

通算32戦22勝 [22-6-1-3]の
成績を挙げたオグリキャップは、
1987年5月に地方の笠松競馬場でデビュー

笠松で12戦10勝2着2回という成績を残し、
翌88年に中央競馬に移籍を果たします。

クラシック登録をされていなかった
オグリキャップダービーを目指す
同期のエリートたちとは
別の裏路線で重賞6連勝を重ね、
当時の現役最強馬タマモクロスに挑みます。

2戦続けてタマモクロスの後塵を拝したオグリですが
最後の対戦となった有馬記念
雪辱を果たし見事にG1ホースとなりました。

 

名実ともに競馬界を背負っていく
存在となったオグリですが、
古馬になって最初の春シーズンは
故障でお休みし、秋にターフに帰ってきます。

しかし、馬主を取り巻く環境の変化があった
オグリに待っていたのは、
わずか3か月半の間に6戦を走るという
過酷なローテーション

関係者への批判が高まる中でも、
懸命に走ったオグリは
マイルCSで2つ目のG1制覇、

連闘で挑んだジャパンカップでは
僅かに届かなかったものの
世界レコードで激走
と、
ファンの心を鷲掴みにしていきます。

そして、現役最後の1年を
迎えたオグリキャップ。

春に安田記念で3つめのG1タイトルを
獲得したものの、

秋に入って天皇賞6着、ジャパンカップ11着と
精彩を欠き“オグリ限界説”
囁かれるようになります

そんな中、出走した最後のレース有馬記念
オグリは闘志を蘇らせ、見事優勝し
自らの力で引退レースを飾った
のでした。

 

オグリキャップは、中央競馬での3年間で
20戦12勝【12-4-1-3】、G1・4勝という戦績と、
感動的な数々の名勝負を残し
現役生活に別れを告げました。

オグリキャップの獲得賞金はいくら?

G1、G2、G3で、それぞれ4勝ずつ挙げた
オグリキャップは中央競馬で8億8,830万円、
地方競馬で2,281万円の合計9億1111万円の
賞金を獲得。これは、メジロマックイーン
抜かれるまで、当時の最高記録でした。

賞金額は年々増加しているため、
最近の馬の方がランキングの上位にくる
傾向がありますが、JRAでの重賞12勝は
現在も最多タイ

また、生涯で3度のレコード勝ちをするなど、
記憶だけでなく記録にも残る馬でした。

オグリキャップ!動画 で蘇る

オグリキャップの成績と獲得賞金を
紹介したところで、実際のレースを
動画でご覧いただきましょう。

数多くのドラマを生み出した
オグリキャップですが、やはり
見ていただきたいのは1990年の有馬記念です。

1.有馬記念

オグリキャップと聞いて多くの人が
想像するレースが、ラストランとなった
第32回有馬記念
でしょう。

これまで掲示板を外したことがなかった
オグリキャップが前の2走で6着、11着と
良い所なく敗れていたことで、
「オグリは終わった」
囁かれていた中での現役最後のレース

最後のレースで気力を取り戻した
オグリキャップは、良い頃のように
3コーナーから進出。
直線で先頭に立つと
後続の追い上げを振り切り、
感動的なラストを飾るのでした。

オグリキャップ!ラストランの騎手は天才・武豊

希代のアイドルホース、
オグリキャップのラストランの
鞍上に指名されたのは、武豊騎手

当時、まだ21歳でしたが、
すでにリーディングを獲得し
競馬界を背負う存在となっていた
天才がエスコートしました。

有馬記念がオグリキャップへの
2度目の騎乗となった武騎手ですが、
レース前の追い切りは前回よりも感触が悪く、
イマイチ自信が持てなかったようです。

「しっかりせえ。
お前、自分を誰やと
思っとるねん。
オグリキャップやで。」

オグリに気力が戻っていないと
感じた武騎手は、レース前に
そう話しかけたと言います。

その言葉に奮起したのか、
闘志が蘇ったオグリキャップは
見事にラストランを飾ります。

競馬界のホープとして注目されていた
武豊騎手が、全国的な知名度を獲得したのは、
このオグリキャップのラストランを
飾ったおかげ
でもありました。

オグリキャップに泣いた

オグリキャップのラストランに
涙を流したファンは
少なくありません
でした。

  • 地方から中央にやってきて奮闘する姿
  • 次々と現れる強敵との一進一退の死闘
  • 人間の都合に翻弄されながら過酷なスケジュールで走るひたむきさ
  • 主役になろうという時に患ったケガ

こんなオグリキャップを取り巻く物語を、
地方から都会にやってきて
仕事を頑張っている人たちが
自分と重ね合わせた
ことから、

社会現象のような人気になったと
言われることもあります。

自分と同じように奮闘していた
オグリキャップが、限界説を吹き飛ばす
走りを見せたとあって、
有馬記念が行われた中山競馬場では
泣いたファンがたくさんいました

ウィニングランで自然派性的に起こった
「オグリ」コールは、オグリキャップに救われた
ファンたちの感謝の気持ちだったのでしょう。

オグリキャップの逸話って?

大団円を迎えたオグリキャップの
現役最後のレースでしたが、
様々な逸話が残っています

オグリ最後のレースを見届けようと
集まった人は、なんと17万人以上

競馬場に入ることができなかった人も
多くいました。

当時の馬券は窓口での対面販売だったため
長蛇の列となり、競馬場に入れたものの
馬券が買えなかった人もいたようです。

17万人が集まったとなれば、
窓口まで移動することも困難なぐらいの
人混みだったでしょう。

また、引退レースを飾った
オグリキャップの単勝馬券は、
換金せずに記念として残している
ファンも多かった
ようです。

当時は今と違い、単勝馬券に馬の名前は
記入されていませんでしたが、

これを受けて単勝複勝の馬券に
馬の名前を入れることや
馬券のコピーサービスが始まったと
言われています。

オグリキャップの血統は?

オグリキャップの父ダンシングキャップは
イギリス、フランスで走ったものの
重賞には勝てないまま引退し、

種牡馬として日本に輸入されました。
オグリの他にJRAの重賞を勝ったのは
2頭だけとお世辞にも一流とは呼べない馬でした。

母ホワイトナルビーの6番目の子供として、
オグリキャップは生まれました。

地方で走り、良血とは言えない血統の
ホワイトナルビーですが、
オグリを含めて競走馬としてデビューした子供
15頭がすべて勝ち星を挙げるという
素晴らしい繁殖成績を残しています。

中でもオグリキャップの6歳下の妹
オグリローマンは、兄が出走できなかった
クラシックに参戦

兄のラストランを飾った武豊騎手を鞍上に
桜花賞を制する大活躍
を見せました。

オグリキャップの性格は?

オグリキャップの強さの要因の1つとして、
精神力が挙げられます。

若い頃から大人のような落ち着きと
何事にも動じない性格
だったと言われています。

素直で真面目な性格で騎手の指示に
きちんと従うので、本質的には
1600mぐらいがベストにも関わらず

2500mのレースでもこなせたと
評価している関係者も多いようです。

オグリキャップの脚質は?

レースでは好位につけて
4コーナーを回る頃には、
先頭を射程圏に入れるという
スタイルだったオグリキャップ。

脚質は先行と差しの間のような
タイプ
でした。

こういった脚質は展開に左右されにくい
タイプなので、それが安定した
成績に繋がったのでしょう。

またオグリキャップの
最大の特徴は勝負根性

目の前を走る馬を
追いかけていく姿勢は、
いくつもの名勝負を生み、
ファンを興奮させました。

オグリキャップのメインの騎乗騎手は?

一流馬の場合、同じ騎手が
騎乗し続けることが多いですが、
オグリキャップは乗り替わりが多い馬でした。

  • 安藤勝己…笠松時代の後半に乗り続けた、当時の笠松リーディング騎手
  • 河内洋…中央に移籍した直後の主戦騎手。芝の走りを教えたと言える存在
  • 岡部幸雄…初G1制覇となった88年有馬記念で騎乗
  • 南井克巳…過酷なローテーションと言われた89年秋に連続して騎乗。マイルCSで優勝
  • 武豊…90年の安田記念有馬記念に騎乗し、ともに優勝

以上が、オグリキャップに騎乗した
主な騎手ですが、共通するのは
誰もが一流と認められていた騎手
だった
ということ。

人気があり過ぎた馬だっただけに、
関係者は腕の良い騎手に
依頼を続けていたということでしょう。

オグリキャップの馬主は?

オグリキャップの馬主は
何度か変更
になっています。

最初に所有したのは小栗孝一さん。
その苗字と父親の名前を組み合わせたのが、
オグリキャップの馬名の由来です。

オグリキャップは笠松で大活躍した事から
中央への移籍を勧められますが、

当時の小栗さんは中央競馬の
馬主資格を持っておらず、1987年春に
佐橋五十雄さんに売却。

オグリは、佐橋さんの所有馬として
中央競馬へ移籍することになりました。

その後、佐橋さんが馬主資格を
取り消される可能性が出たという事で、
1988年9月には近藤俊典さんが
馬主となったオグリキャップ。

秋シーズン6走という過酷なローテーションは、
この馬主交替の直後
だったため、

オグリ取得のために使った金額を
回収するために走らせたと
批判されたりもしました。

オグリキャップの産駒って?

多くの人に勇気と希望を与えた
オグリキャップは父としての活躍が期待され、
引退後は種牡馬となりました。

しかし、子供たちの成績はパッとせず、
重賞2着が最高。2012年を最後に
産駒は、すべて現役を終えています

中央競馬で3勝を挙げたノーザンキャップが
種牡馬となり、その子供の
クレイドルサイアーも種牡馬入りし
辛うじて、父系は維持されていますが、
少ない種付け数の中から
相当の大物が出てこない限り、父系としての
オグリキャップの血は途絶える可能性が
高い
でしょう。

母の父としても繁殖入りした馬が
30頭余りと数が多くないのですが、
オグリキャップ最後の産駒となった
ミンナノアイドルの子供、
ストリートキャップが中央競馬でデビューし
重賞に出走するなど話題を振りまきました。

オグリキャップのぬいぐるみがブームに!


出展:https://shop.northern-horsepark.jp/

老若男女を巻き込み社会現象となった
オグリキャップを語る上で外せない
アイテムがぬいぐるみ

今でこそ、競馬場などに行くと
競走馬のぬいぐるみが当たり前のように
売られていますが、このぬいぐるみを
定番化させたのが、何を隠そう
オグリキャップ
です。

濃いグレーの毛にメンコと呼ばれる覆面、
オグリキャップと書いたゼッケンを
着用したぬいぐるみは爆発的な人気となり、
ゲームセンターのクレーンゲームに
ぬいぐるみ目当ての人が集まったり、
車のダッシュボードにオグリのぬいぐるみを
置く人が続出
するなど大ブームとなりました。

オグリキャップとハイセイコーの関係は?

アイドルホースと呼ばれたオグリキャップですが、
彼と同じように地方から中央に移籍し
活躍した元祖・アイドルホースがハイセイコー

オグリが登場する15年ほど前、
大井競馬でデビューしたハイセイコー
連勝を重ね、中央に移籍してからも
エリートたちに勝ち続け皐月賞に優勝。
“第1次競馬ブーム”と呼ばれるムーブメントを
生み出しました
。その人気っぷりは、
少年誌の表紙になったり
「府中市ハイセイコー様」だけで
手紙が届いたと言われるほどでした。

そんなハイセイコーの活躍を彷彿とさせる
オグリキャップに人々は熱狂し
“第2次競馬ブーム”と言われた
社会現象に繋がりました。

まとめ

今回は、オグリキャップについて
ご紹介しました。

彼の一生懸命にひたむきに走る姿は、
今見ても感動
する部分があります。

現在のUMAJOや家族でも遊びに行ける
競馬のイメージを作り上げた存在である

伝説のアイドルホース・オグリキャップの
雄姿を動画などで見てみてください。